コロサイ2:14-16によると、安息日は十字架で廃されたのではないでしょうか。

A.答え

コロサイ2章14-16節

「神は、私たちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。そして、もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。」

モーセは神ご自身の指によって書かれた十戒以外に、礼典律を与えられました。ユダヤ制度には福音がぎっしり詰まっていた預言でありました。イエス・キリストによって成し遂げられるあがないのひな形であり、影でした。いろんな規定があり、儀式がありました。たくさんのいけにえは、神の小羊であられるイエス・キリストをあらわしていました。また、祭司制度にはいろいろな規定がありました。それらはイエス・キリストだけが神と人類の間の仲保者であることを示していました。

1テモテ 2:5

「神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。」

それらは礼典律と呼ばれています。十字架にくぎづけられたのはそのようなもろもろの規定です。それらは、贖罪の犠牲であり、新しい契約の大祭司、仲保者イエスが来られたからには不必要になりました。十字架以後は律法は無用という意味ではありません。「私たちを責めて不利におとしいれる証書」、その規定もろともぬり消し、これを取り除いたのは、パウロがそれはクリスチャンに反すると言った理由です。マタイ27章51節をみますと、キリストが十字架で神の子羊として死なれた時に、神殿の中で垂れ幕が引き裂かれ、動物の犠牲制度の律法の終わりを指し示しました。

そして、エペソ2章15節は、イエスが「数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである」と言っています。これが、パウロがコロサイ2章16節に書いた理由です。すなわち、「来るべきものの影である」献げられた肉、献げられた飲み物、安息日について、批評されてはならない。これらは、年毎の安息日であり、道徳律の週毎の安息日ではないことに注意して下さい。これらの影の安息日は、レビ記23章24-27節に記述されています。それらは、毎年、週の違った日、月のある定められた日に、やって来ましたが、安息日と呼ばれました。しかし、37節に気づいて下さい。どのようにして、それらが、週毎の安息日と区別されたかということに。「これらは主の定めの祭であって、あなたがたがふれ示して聖会とし、主に火祭すなわち、燔祭、素祭、犠牲および灌祭を、そのささぐべき日にささげなければならない。このほかに主の安息日があり、・・・」

さて、コロサイ2章16節のなぞは、完全に解明されます。年毎の安息日の律法は、肉と飲み物の献げものと共に、十字架にくぎづけられましたが、週毎の安息日を含む偉大な十戒は、法令を「拭い去る」ことによって、影響されませんでした。