キリストの義の衣を裂く危険性

*霊感の言葉*

「『あなたがたは衣服ではなく、心を裂け』。あなたがたの神、主に帰れ。主は恵みあり、あわれみあり、怒ることがおそく、いつくしみが豊かで、災を思いかえされるからである。」ヨエル2:13

 

「今日クリスチャンと称する多くの者は、心が低くされ、やわらげられてもいないのに、外見上の悔い改めを装って衣服を引き裂く危険がある。これがクリスチャン生活において、非常に多くの者が失敗し続ける理由である。過ちに対する見せかけの後悔が示されるが、彼らはそのこと自体を悔い改めなければならない。」RH1900年 6月12 日

 

「自分の罪を認めて神の前にへりくだらない者は、神に受け入れられる 最初の条件さえ果していないわけであります。再び悔いることのない悔い改めをし、本当にへりくだった砕けた心で罪を告白し、自分の罪悪を心から憎んでいるのでなければ、真に罪のゆるしを求めたとはいわれません。」キリストへの道46

 

「罪の告白は、それが公のものであっても、個人的のものであっても、真心からのものであって、十分に言い表されなければなりません。罪人に無理に強いて言わせるものではありません。また、告白は軽率に不注意になされてはなりません。本当に、罪がどんなに忌まわしいものであるかを認めていない人に強いるものでもありません。心の奥底からわき出てきた告白は、 限りないあわれみを持ちたもう神へ通じます。」キリストへの道47

 

「真面目な悔い改めと改革が伴わない告白は、神に受け入れられることはできません。はっきりとした変化が生活にあらわれ、神のきらいたもうすべてのものを捨てねばなりません。本当に罪を嘆いた結果はそうなるのであります。私どものなすべきことは、はっきりと示されています。」キリストへの道48~49

 

「罪のために道徳的知覚が鈍くなってしまうと、悪を行う者は自分の品性の欠陥を認めもしなければ、自分が犯した罪の恐ろしさを悟ることもありません。罪を示す聖霊の力に従わなければ、人は自分の罪に対して 部分的の盲目でいるわけであります。ですから、その人の告白は真面目でもなければ熱心でもありません。自分の罪を認めて悪かったとは言うものの、そのたびに自分の行為に弁解をつけ加え、ああいう事情さえ起らなかったら、自分はああもしなかったしこうもしなかったし、なにもしかられることはなかったのだと言います。・・・おのれを義とする精神は、偽りの父である悪魔よりきたもので、アダムの息子、娘はみなこの精神を表わしました。こうした告白は聖霊に動かされたものではありませんから、神に受け入れられることはできません。」キリストへの道49~51

 

「真の悔い改めは、自分の罪を自分で負い、なんの虚飾も偽善もなく、罪を認めるのであります。・・・そこには罪の言い訳をしたり、自己を正しとするようなことの少しもない、 真心からの告白の精神が見られます。」キリストへの道51