受けるよりは与える方が、さいわいである

*霊感の言葉*

1コリント 6:19,20
「あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。」

 詩篇 24:1
「地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とは主のものである。」

 キリストの実物教訓318
わたしたちは、今の時を生かして用いるように勧められている。しかし、むだに過ごした時間は、永久に帰ってこない。一瞬間でも呼びもどすことはできない。ただ残っている時間を神の協力者となって神の大贖罪計画のために最善をつくすことによって、時をあがなうことができるだけである。こうする者は、品性が一変する。彼は、神の子となり、王族の一員、天の王子となるのである。また、天使たちの友となるのにふさわしい者とされるのである。 

キリストの実物教訓327
金銭はわたしたちが、自分に栄えを帰するために与えられたものではない。わたしたちは、忠実な管理者として、神に栄光を帰するために、金銭を用いなければならない。自分たちの財産の一部分だけが、神のものであると、思っている人がある。宗教的、慈善的目的のために一部分をささげれば、あとは、自分のもので自由に使用してもよいと、彼らは考える。しかし、これはまちがいである。わたしたちの所有するものはみな神のものであって、その用途について、責任を負わなければならない。一銭の金を使うにも、神を第一に愛し、自分のように隣人を愛しているかどうかがあらわれるものである。

1コリント 10:31
 「だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。」

各時代の希望上101
食欲と情欲はもっと高い知能に服従させられねばならない。この自己訓練は、われわれに神のみことばの聖なる真理を理解し実行する力を与えてくれる知能の力と霊的な洞察(どうさつ)力とにとって欠くことのできないものである。この理由から、節制はキリスト再臨に備える働きの一部である。