*霊感の言葉*
「イエスは答えて言われた、よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない。」(ヨハネ3:3)
「彼らの口には偽りがなく、彼らは傷のない者であった。」(黙示録14:5)
「わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。」(エペソ4:13)
「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタイ5:48)
「御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ。」(ローマ1:3)
「しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生まれさせ、律法の下に生まれさせて、おつかわしになった。」(ガラテヤ4:4)
「確かに、彼は天使たちの性質を取られることはしないで、アブラハムの子孫の性質を取られた。そこで、イエスは、神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、民の罪をあがなうために、あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった。」(へブル2:16-欽定訳、17)
「この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試練(誘惑一英文)に会われたのである。」 (ヘブル4:15)
「主ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練の中にある者たちを助けることができるのである。」(へブル2:18)
「律法が肉により無力になっているためになし得なかったことを、神はなしとげて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。」(ローマ8:3、4)
「わたしは、自分から何事もすることができない。ただ聞くままにさばくのである。そして、わたしのこのさばきは正しい。それは、わたし自身の考えでするのではなく、わたしをつかわされたかたの、み旨を求めているからである。」(ヨハネ5:30)
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。」(ヨハネ15:5)
「不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ。見よ、わたしはすぐに来る……。」(黙示録22:11,12)
「イエスはわれわれの会うあらゆる試みに耐えられた。しかも彼はわれわれに自由に与えられていない力をご自分のためにお用いにならなかった。人間としてイエスは試みに会い、神から与えられた力で勝利された。…イエスの一生は、われわれもまた神の律法に従うことができることを証明している。」 (各時代の希望上9)