聖徒の忍耐

*霊感の言葉*

ミニストリーオブヒーリング459-460

モーセの忍耐:
モーセの経験を考えてみるとよい。….モーセはイスラエル人を奴隷生活から救い出す働きの準備が完全にできたと考えた。しかし、神は異なった判断をされ、摂理をもって四十年の間、モーセを牧羊者として荒野の訓練に導かれたのである。

エジプトでモーセが受けた教育は、多くの点で彼の助けとなったが、その生涯の働きのため最も価値のある準備は彼が牧者として雇われていたときに受けたものであった。彼は生来、衝動的であった。エジプトではりっぱな軍隊の指揮官であり、王や国民から愛され、つねに称賛と歓迎をうけ、人心は彼に集まっていた。モーセはイスラエルを救う働きを自分自身の力でなしとげようと望んだが、神の代表者として学ばなければならなかった教訓はこれとはずっと異なり、寂寞とした山を経て谷間の牧場に羊を導きながら、信仰と柔和と忍耐と謙そんと自己忘却を学んだ。彼は弱いものをいたわり、病気のものをみとり、迷ったものを尋ね、気ままなものに耐え、子羊を守り、老齢のものや虚弱なものを養うことを覚えた

この労働によってモーセは大牧者にいっそう近く引き寄せられ、イスラエルの聖者に密接に結ばれたのである。もはや、大きなことをしようという計画をたてなかった。ただ自分に委託された仕事を神に忠実に果そうと努めた。……

この体験の後、モーセは牧羊者のつえを権威のつえと取り換え、羊の群れを後にして、イスラエルの指導権をとるようにとの命令を天からきいた。この命令を神から受けたとき、モーセは自信のない、訥弁な、臆病な人間になっていた。神の代弁者となるには自分は能力がないという気持で圧倒されていた。しかし、神に全信頼をおいてその働きを承諾した。それは偉大な使命であり、最高度に頭脳の能力を発揮することが必要であった。神は喜んで服従したことを祝福され、モーセは雄弁となり、希望にあふれた沈着な人間として、人に与えられた働きの中で最大の働きに適する者とされたのである。モーセについて「イスラエルには、こののちモーセのような預言者は起らなかった。モーセは主が顔を合わせて知られた者であった」としるされている(申命記34:10)。

自分の働きが認められないと感じ、さらに大きい責任の地位を切望する人は、上げることは東からでなく、西からでなく、また荒野からでもない。それはさばきを行われる神であって、神はこれを下げ、かれを上げられる」ということを考えてみるがよい(詩篇75:6,7)人間は各自、天の永遠の計画にそれぞれの役割がある。その役割を果すかどうかは、忠実に神に協力するか否かによって定まる。

ミニストリ・オブ・ヒーリング460-461、479

イエスの忍耐:自分をあわれむことを警戒しなければならない。自分の正当な真価が認められず、その努力が感謝されず、仕事があまりに困難だというような気持をほしいままにしてはならない。キリストがわたしたちのため耐えられたことを覚えて、すべての不平な思いをしずめなさい。………

神は、あわれみと忍耐に富んでおられるから、強情な人、不真実な者をも忍耐強く忍ばれる。選ばれたキリストの使徒の中には裏切り者のユダがいた。今日、働き人の中に偽り者がいても、それに驚き、失望すべきではない。人の心を読まれるキリストが、彼が当然裏切り者になることがわかっていてさえ、耐えられたのであれば、わたしたちはどれほどの忍耐をもってまちがっている人々を忍ぶべきであろうか

また最も欠点が多いように見える人でも全部がユダのようではなく、性急な、あわて者で、自信の強かったペテロは、ユダよりどれほど悪く思われたか知れないし、救い主に譴責された数も、はるかに多いくらいであった。しかしペテロの生涯はなんと言う奉仕と犠牲の生涯であったろう。彼は神の恵みの力について、なんと言うりっぱなあかしをたてたことであろう。わたしたちもできるかぎり、地上においてイエスが弟子たちと共に歩み、共に語られていたとき、彼らに対してなさったように、他の人々にしなければならない。